一旦解散し、荷物の片付け、着替えなどをすませて 集まる事にした。
僕も 花の器などを ヒロスーの車に載せてもらい 僕自身も乗せてもらい 我蘭堂に一旦帰った。
ちょっと 予定外の仕事が入ってしまっていて 再度出発するのに時間がかかってしまった。
シャツを着替えるとき
(ここでカチッっと礼服を着ていったら面白いかも?)
なんていう ネタが思いついたんだけど スベッたときとその後の不便さを考えてやむなく我慢しました ← (なに考えてんだか)
けっきょく もうひとつの ma- の形見のシャツを着て出かける事にした。
急がなきゃ、僕が 何ヶ月も前から 楽しみにしていた夜だ。
「真実は夜にある」 ma- の言っていたセリフ・・・直接聞いたことはないけど・・・
ちょっと昨夜メーター上げすぎちゃった(表現が昭和だ)のは想定外だけど、それが真実らしい(笑)
その後みんなと合流し、盛り上がっている途中 おくれて駆けつけた フォルツボス・片ちゃんが駅に着くという事で 迎えに行った。
来たっ!
一足先に kojiroもそろって これで今夜のメンバー揃いました。
たのしい
たのしい
うれしい
うれしい
みんな ありがとう
再会を喜んだり 別れを惜しんだり そうしていることは 生きていればこそなんだけど
やっぱり 離れて過ごしている友達との別れは つらくって さみしくって
前にもちょっと 書いたことがあるんだけど 僕は 凄く心動かされる映画をみたり、すごく優しい人に出会ったり
凄く楽しく過ごしたりした後に ときどき その「揺り戻し」がやってきて ちょっと不安定な心持ちになる。
子どもの頃から 自分のそういう 弱っちぃ部分っていうのは 劣等感でしかなくて
ずっと 自分の嫌いな部分だった。
良く言えば感受性が豊かって言えるかもしれないけど 芸術家でもやってないかぎり そういう部分は 生きていくのに不便でしかないと。
でも この仕事を覚えて この仕事を好きになって こうして沢山の友達ができて
そんな中に 似たような感受性の部分を生かして 共感できる生き方をしている人が居て
だから こんな自分も まんざらでない気持ちになって
そしてその部分が この仕事での武器になっていくように思えて。
だから あらためて 今夜 首が痛くなるほど 上を向いて言おう
「ma- ありがとう」