今週末に あるパーティーに出席する事になっていて そこでお祝いにちょっと演奏することになっていて・・・・・
別に すっかり足を洗ったつもりは無いんだけど 階段の踊り場で 飾り物のようになっていたギターの
弦を 久しぶりに張り替えた。
とある 無名だが非凡な才能をもつ音楽家から 考えられない値段で譲り受けた 「オベーション」。
閉店後の 21:00ごろ 我蘭堂内で 花に囲まれてリハをしているのは私です(失笑)
最近 身の回りで 同世代の人達が 学生の頃続けていた スポーツやら、趣味を再開したり
子育てが 一段落したお母さんが(別に子育てはお母さんだけの仕事じゃないけど) 仕事に復帰したり っていう近況を聞くことが多くなった。
さしづめ 僕も そう映るんでしょうか。
でも ごく親しい 仲間には 休まずに ずっと続けてきたヤツもいる。
そんな 彼らから見たら こういうのって どんなカンジなんだろう。
それを 想うと 自分の中に 妙な劣等感が沸いてくる。
並んでた列に 割り込んだような 後ろめたさ さえする。
僕は 中学生の頃から 短い文章を書いたりするのが好きで それはもう 日記を書くように 毎日 とりとめの無い文章を書いていた。
それは 決して 楽しくなんか無くて ただ 我慢できなくって吐き出すように書いていくことばかりで、
その時期に 始めた音楽も そういう部分でリンクしていたから 「音楽は楽しい」なんて想った事は無かった。
そう想ったら やめよう なんて考えていた。
確かに 音楽は「音」を「楽」しむって書くんだけれど そんな涼しい カンジ は 違うって想っていた。
なにを ひねくれていたのか判らないけど 「音楽サイコー!」とか言っている人間とは 絶対一緒に音楽が出来ないって思っていた。
ちょっと (いやかなり) 屈折していた。
いま 考えれば それは スポーツでも一緒で トレーニングや反復練習なんかは 楽しいはずは無くて
そういうことに裏打ちされて起こる結果で 色々なことが報われた その瞬間、
「楽しい」
って思えるんだろうなと。
単に ボキャブラリーの違いだったんじゃないかと。
そう想うとね、やっぱり 時には
「試合」しなくちゃいけないっていうか
「アピール」しなきゃいけないっていうか
「プレゼン」するべきっていうかね・・・・・・
要するに 時々 「勝負」しなきゃいけないって 想うんですよ。
40を過ぎて いつの間にか 周りでは 「内山君」って言う人が減ってきて 「内山さん」って 呼ばれるようになって、
自信や経験と一緒に 失敗できないぞっていう 臆病さも段々積み上がってきて。
上に書いたように 以前やっていたことをまた始めるより 「初体験をしよう!」って想って
娘のお弁当を作ったりして・・・・
それは それでスゴクいい感じなんだけど、
やっぱり ちょっと分が悪い勝負にも 出てみようかと想いまして 今、また 楽器いじってます。
懐かしい 指の痛みが 左手に残ってます。